イエスの方舟事件の現在と騒動の真相。千石剛賢の嫁と子供に驚愕
1979年~1980年にかけて大きく話題となった事件「イエスの方舟事件」について真相や当時の騒動内容について語りたいと思う。
この首謀者は千石剛賢であり、現在もその考え方を受け継いだ多くの女性たちが福岡で暮らしているという。
逮捕に至ってはいないが、その過程がものすごい騒動となったのでその一部始終を綴りたい。
イエスの方舟事件とは
この事件の発端となった人物である千石剛賢は、20歳の時に海軍にいた経験がある。
当時は荒れていて、喧嘩ばかりする毎日であったが年齢を重ねていくにつれて悟りを開いてきたようだ人柄などが当時の女性たちに大きな魅力にうつっていたようだ。
ちなみに、この騒動は予想以上に大きなものでビートたけし主演でドラマ化されたこともあった。
彼は、聖書勉強会を主催していて「キリスト教信仰集団」として認識されていた。
突然事件になったわけではなく、1970年代後半には26名が聖書研究に打ち込んでいた。
多くが女性だったわけだが、男性もいた。
東京で細々とこの勉強会は主催されていたわけだが、次第に多くの信者の家族たちが「娘が帰ってこない」「拉致された」といって事件性を叫ぶようになった。
1977年には警察は特別捜査班を組んで動くようになっていたが、信者たちはあくまでも自主的に加わっているということで逮捕までには至らなかった。
しかし、家族はそれで納得することはせずイエスの方舟の住処に集団で抗議しにいくような事態にまで発展した。
千石剛賢は、これにたまらず東京を出て色んな場所を転々として最終的には現在「シオンの娘」がある福岡に移転した。
2年間ほど逃亡生活を繰り返している間は、会員の女性たちもホステスとして自主的に働いて稼いでいたようだ。
今でも当時の女性たちは残っている
イエスの方舟事件では、その後さらにマスコミがバッシングなどをして警察も逮捕状を出すようになったがその際に千石剛賢は心臓発作で病院に運ばれた。
これに対して、一部週刊誌の協力などもあり会員の女性たちが「自主的である」と記者会見に参加した。
これで、不起訴処分となり事件は沈静化することになった。
現在は、「シオンの娘」というクラブが福岡県中洲にありそこで女性会員たちが働いている。
千石剛賢は2001年に亡くなってしまったが、「おっちゃん」と慕われ今でも女性たちの心の中で生き続けているという。
事件が沈静化した後は、会員の親も了承したようだがこういった騒動は宗教に限らずどの組織でもそうなってしまう可能性があることを示唆しているのではないだろうか・・。